私的・すてき人

誰かを楽しませたい、幸せにしたい…それが自分の原点

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和太鼓奏者「和太鼓 燦(さん)」代表

みやい りゅうじ

宮井 龍治さん [三重県在住]

公式サイト: http://www.wadaikosun.com/

プロフィール

1974年 愛知県出身
1998年 和太鼓に出会う 
2001年 プロの和太鼓奏者に
2004年 五木ひろし芸能生活40周年記念コンサートに出演
2011年 「和太鼓 燦」を起ち上げる
2016年 「堺太鼓」の指導にあたるほか、泉北の養護施設のためのチャリティコンサートにも毎年参加。関西を中心に多くのライブやイベントで活動中

今も鮮やかによみがえる、ひとつの景色がある。
あるイベントに出演するため、舞台下にいた時のことだった。
「おばあちゃんがね、ひとりカートに座って舞台を見てたんですよ。それで僕、そのおばあちゃんを楽しませたくて、駆けよって太鼓を打ったの。そしたら僕を拝むように手を合わせて喜んでくれた…その時の風の匂い、光、芝生の色…何もかもが今でも強烈にフラッシュバックしてくるんだよね」
 
誰かに楽しんでもらいたい、誰かの心を幸せにしたい――それこそが彼の原点。
「迷った時も落ち込んだ時も、必ずあの景色を思い出すね。今僕が和太鼓奏者として舞台に立っていられるのは、あの感動があったから。すべての原動力なんだと思う」

様々な仕事を経てたどりついた和太鼓の道

中学を卒業すると、とにかく色々な仕事に就いた。
「中学の時バイトで、働くことの楽しさとカッコよさを知ってしまったんだよね。進学するより、早く働きたかった」
18歳の時にはゴルフの研修生になり、3年後にはブラックバス釣りのプロにも挑戦。
各地で開催されるバストーナメントに出場し賞金を稼ぐという、かなりマニアな仕事も経験した。
「でもある時ローンで買ったボートが沈没しちゃって…それで辞めざるをえなくなって」
 
自分のポジションを必死で探していた24歳の時、たまたまあるイベントで和太鼓を打ってみないかという誘いが来る。
 
「太鼓なんてほんとは嫌いだったんですよ。中学の時はバンドやってたし、なんかダサッ!って感じで。でもやってみたら、はかまに上半身裸でカッコイイし、大太鼓って一番目立つじゃないですか(笑) これは面白ゾって、2ヶ月稽古して名古屋ドームで初舞台を踏んだんです」
 
それからはプロの和太鼓奏者のもとで修業を始めるが「これがもう、ウツに追い込まれるほどキビシくて。もう無理やと思ったことも何度もあった。でもね10年以上たって師匠がなんであの時、あんなに怒ってたんか、ホメてくれへんかったんかわかるような気がするんですよ」
 
「教えられた通りに、基礎を全然やろうとしてなかった。ちょっと出来るようになるとテクニックに走ったり、気取って演奏したり。何事も基本がすべて、基礎をどんだけ高レベルで魅せられるか、それがプロなんやとこの歳になってやっとわかってきたんです」

生徒から“引導を渡される”のが夢

ここ数年は書道家とのコラボや、ラテンやシンセサイザーとの競演も果たし、とにかく和太鼓のイメージにとらわれない演奏が話題を呼ぶ。さらに181センチの長身から繰り出される大迫力のパフォーマンスは、観客を魅了して離さない。
 
一方で舞台公演のかたわら、力を注ぐのが子どもたちへの和太鼓指導だ。
地元・堺を代表するチームに成長した「堺太鼓」も、彼が往復4時間かけて指導に通うほど思いをこめて育てているチームのひとつ。
 
「子どもたちには、まず全力で太鼓を打たせるんです。とにかく制ぎょ不能になるまで打って、自分の限界がどこなのかを知る。車のレースだって、スピンしないギリギリのスピードで走らないと勝てない。それと一緒で、自分の限界ギリギリのところで、コントロールしながら打てるようなれば最高なんです」
 
どんな質問が飛んできても、子どもたちには簡単には答えを教えない。それが彼の流儀だ。
 
「手が痛くならないように打つにはどうしたらいいの?」そう聞かれても、あえて答えは用意しない。
 
「とりあえずやってみればいい。工夫して自分が一番打ちやすい、痛くないとこを探していけばいい。そんな風にしてバチの持ち方がみつかれば、それが“正解”なんですよ。太鼓なんていってみれば、牛の皮をバチでたたく、それだけのシンプルな楽器なんやから、難しいことなんて何もないんですよ」
 
ただひとつ、教え子が近道をしようとした時だけは、きっちり止めに入る。
「自分がたくさん失敗してきたから、こっちは危ないってわかってるんですよね。時にはテクニックを披露したくて坂をかけ上ってみたり、大人ぶって崖を超えようとしたり…でも遠回りでも基礎を大事にしていく事が、結局はいちばん早く目的地に着くんやということを子どもたちにちゃんと教えたい」
 
夢は、なんと生徒に“引導を渡される”こと。
 
「自分のなかにあるものは全部、持っていってほしい。自分を追い抜いていって、先生なんかもういらん!て、みんなにそう言われるのが夢やね。それでいつかあの子たちがスゴいプレーヤーになって、『実は僕の師匠は宮井なんです』っていってくれたら、それこそほんとに最高やなあ」
 
 

2017/11/21 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔