私的・すてき人

歴史に残る建物を未来につないでいく――それが私の使命

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株式会社「アスウェル」代表取締役

くろかわ けんぞう

黒川 健三さん [大阪府羽曳野市在住]

公式サイト: http://www.asuwell.co.jp/

プロフィール

1944年 羽曳野出身
1962年 此花商業高校(現・偕星学園)卒業後、三菱銀行へ 
1970年 ビルメンテナンスを行う「近畿化学株式会社」設立 後に近畿綜合メンテナンス株式会社に社名変更
2005年 田尻歴史館の指定管理者になったことを皮切りに、府立中之島図書館、旧河澄家、土師ノ里駅前駐輪場などの管理に取り組む
2010年 社名を「アスウェル」に変更

古き時代の建物や歴史、文化財…これらの運命を握っているのが「指定管理者」だといっても過言ではない。
アツい思いと信念を持った管理者に出会えると、時代に埋もれ消えゆく寸前だった文化財が、とたんに息を吹き返しその命を輝かせ始める。
 
彼が初めて手がけた、大正ロマンあふれる有形文化財「田尻歴史館」が、まさにそう。「初めは傷みもひどくて、すべてのメンテナンスをやり替えるのが大変でした。でもこんな素晴らしい建物を、未来につなげることこそが私の使命だと」
 
ビルメンテナンスのパイオニアとして培ってきた技術と、次世代に残したいという強い思いがひとつになって、田尻歴史館は活気を取り戻す。
「歴史に残る建造物を修復して、それをいかにうまく使っていくか。これからもたくさんの文化を、後世に残していきたいんです」
 
 

エリートから清掃業へ

大手の銀行マンだった彼が、会社を立ち上げたのは26歳の時。
「私の父や叔父がみんな、それぞれ独立して商売をしてたんです。それでなんとなく私も、やりたいなと思って(笑)」
 
「銀行で宿直してた頃、日曜になるとお掃除の人が床洗いに来るんですよ。で、ものすごくきれいにしてくれる。私も時々手伝ってるうちに、こんな仕事やってみたいなあと思ったのがきっかけだったかも」
 
将来の安定をあっさり捨てて、軽いステップで飛びこんだ“清掃”の仕事。
「スタートは夫婦ふたりで、市役所の掃除をやってました。ノウハウもよくわからないし、とにかく必死。そうこうするうちに、だんだん口コミで松原や柏原…とあちこちの役所を紹介してもらえるようになって。まだ若かったから、少しずつ増えてきた従業員には『大将!』って呼ばれててね(笑)」
 
当時の南河内や泉州には、清掃から管理、設備のメンテナンス、セキュリティなどを統かつして行う業者がほとんど無かった。彼はそのパイオニアとして、新しい時代を作っていくことになる。
 
「ちょうどビルがドンドン建ち始めた時期でしてね、ラッキーだったというか。次々仕事も増えて、得意先にも恵まれて、ほんとに楽しかったんですよ」
 
多い時には単発も含めると、年に何百社というメンテナンスを一手に引き受けるほど急成長。そんななかで、いちばん大事にしてきたのが“人”なのだという。
 
「何よりも人が大切なんです。私ひとりでは何もできません。すぐれた人材こそがすべての資本やと思うんです。清掃というといまだに3Kのイメージがあるけど、だからこそ技術者としてのプライドを持った仕事をしよう、といつも言うんです。そのためにどんどん資格を取ってスキルアップしてほしいし、講習会を開いて独自の教育もしていく。いつか社員に日本一の給料を払える会社にしたい!それが私たち夫婦の思いなんです」
 
 

指定管理に新しいアイデアを

まさに順風満帆。時流にもうまく乗って忙しい毎日を過ごしていた13年前、あるひとつの出来事が起こる。

「家内とふたりで奈良の神社に行ったんですよ。そしたらその神社が荒れ果てていて。あまりにも傷んでいるのにショックを受けて、その時ハッとしたんですね。古き良き建物をうまく管理・活用して次の世代に残していくのも、私たちの仕事なんやないかって」
 
「そしたらね、なんとその2日後に府の有形指定文化財でもある、泉南の『田尻歴史館』が指定管理者を募集してるって記事が出たんです。これやっ!てすぐ応募したんですよ」
 
指定管理とは、公の施設の管理・運営を民間に委託するシステム。官と民間が競争し良い企画の方に決まるものもある。2003年からスタートし、民間のノウハウを導入することで効率化を目指したものだ。
 
「田尻歴史館」は大正期、関西繊維業界の中枢を担っていた谷口房蔵氏の別邸で、レンガ造りでステンドグラスが美しい洋館と、ぜいを尽くした和館や庭園が見事に調和した邸宅。だがただ補修し管理するだけでなく、この文化財を輝かせるにはどうすればいいのか――
 
まさにここからが、夫妻にしかできない起死回生のアイデアの連続!
 
「ある人に言われたことがあったんです。客を呼ぶには2つの魅力が無いとアカンて。ロケーションだけではあかん、じゃあおいしいご飯を食べてもらったらどうやろう…」
そうヒラメいたふたりは、役所に半年かけて交渉しカフェレストラン「ベッラメンテ」を1階ホールにオープンした。
 
地元のおいしい魚と黒米、それに無農薬の野菜を使ったランチは人気を呼び、地元はもちろん各地から観光客が訪れるように。さらにさまざまなイベントを開いたり、ウエディングスペースとして活用したり…と“仕掛け”は次々成功していく。
 
さらに江戸の昔多くの文人が集ったサロンでもあった、東大阪市指定文化財の「旧河澄家」、ネオバロック様式が美しく格調高い中之島図書館…と次々管理を手がけてはチャレンジを続けた。
四季折々のイベントを繰り広げ、アイデアを駆使して文化を発信。人々が集いたい場所へと改革していったのだ。
 
「頑張っていれば、地元にサポーターが生まれてくるんです。『なんでもゆうてや!』ってたくさんの人が応援してくれる。村おこしにもなるし、人の輪も生まれるんですね」
 
夢はもちろん「これからも素晴らしい文化や歴史に光をあてて、明日につないでいく」こと。
「泉州や河内には、奈良まで続く日本遺産の竹内街道や、たくさんの歴史が残っています。紀州街道沿いも面白いですね。それらをうまく活用して、地元の活性化につなげられたらいいなと思います。また、戦後70年以上経ち、建物やダムありとあらゆるものが老朽化しています。点検してその再生をはかっていきたいと考えています」
 
 

2017/12/13 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔