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HOME > 私的・すてき人一覧 > 西田 宗城さん

私的・すてき人

逆風をチャンスに変えて、世界の頂点へ――

File.162

車椅子マラソンランナー

にしだ ひろき

西田 宗城さん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: https://www.facebook.com/nishidahiroki

プロフィール

1984年 和泉市出身
2004年 桃山学院大学3回生の時交通事故で下半身不随に。2年後車椅子陸上に出会う
2010年 パラリンピック強化選手に
2015年 大阪マラソン2連覇
2018年 ロサンゼルスマラソン日本人最高の4位、パリマラソン日本人初優勝 バカラパシフィック所属

どの人生にも“挫折”は訪れる。
絶望や痛みとどう向き合い、どう生きるのか――そこからが人間の本当の価値となる。
 
突然の事故で下半身不随を宣告されるという暗闇のなかで、彼はある言葉と出会う。
「『できない事を考えて嘆くな』とリハビリの先生にいわれたんです。今自分にできる事を考えろと」
その言葉に背中を押されるように前を向くと、目の前に「車椅子陸上」という光が射しこんできた。
「今なら思えるんです、車椅子になったことにも意味があったんだって」
一瞬ですべてをひっくり返すオセロゲームのように、絶望を希望に変えてみせた彼の、座右の銘は「ピンチはチャンス」――それは彼の人生の軌跡そのものに他ならない。
 
 

一目ボレした車椅子レーサーの姿

人生を変えたあの事故の日――目を覚ますとただ白い天井だけが広がる病室。そして告げられたのは、脊髄損傷でもう一生歩けないという現実だった。
「ああ、もう野球ができへんのかあって。それが何よりショックだったんです」
 
小学生の時から大学まで、野球ひとすじの人生だった。179センチという長身を生かしサードや、キャッチャーとして活躍してきた。
「卒業したら、独立リーグに入れたらなあと思ってたんですよ」
 
だがその日を境に180度人生は変わってしまう。
「リハビリが始まっても、何もしたくない。現実から逃げたいと思っていた僕に、先生は『今できる事を考えて生きなさい』と声をかけてくれた。それまでは車椅子なんだからアレも出来ない、どうせこれもできへんって思ってたんですね。でもその言葉にハッとした。ポジティブに変わることができたんです」
 
リハビリのかいあって車椅子を操ることができるようになると、今度は車の運転に挑戦。やがて地方公務員試験にも合格し、市役所の職員として働きはじめた。
「目標を決めて今自分ができることを探すうちに、ドンドン可能性が増えていきましたね」
 
 
そんなある日ふとテレビに目をやると、そこには河川敷を猛スピードで楽しそうに駆けぬけていく車椅子レーサーの姿が映っていた。
「うわあ、気持ちよさそうやなあって。もともとスポーツは好きやったし、俺もやってみたいなあって、もう一目ボレやったんです」
 
車椅子陸上は、3輪の競技用車椅子に正座した状態で乗り込み平均時速30キロ、下りでは60キロもの速度で走る迫力満点の競技。
「レーサー」と呼ばれるその車椅子で初めてトラックを走った日、彼は「風を切る」心地よさに心を奪われる。未来に続く“夢”に出会った瞬間だった。
 
仕事終わりに自主トレーニングを重ねてはレースに出場。持ち前の身体能力と負けず嫌いの性格で、3年もするとトップアスリートたちと共にレベルの高いレースを展開するようになっていく。
そして2013年には、なんと7年間勤めた市役所を退所。大胆にも競技1本でやっていく覚悟を決めるのだ。
「周りは、みんな大反対!(笑) でも仕事しながらの練習量では、トップクラスの選手に勝てない。だったらこの際思い切って辞めようと。まあ、なんとかなるやろって思ってたんですよ(笑)」
 
 

子どもたちに自分の体験を伝えていきたい

マラソンレースの醍醐味のひとつに駆け引きがある。
「どこまで我慢して、どこで仕掛けていくのか。その日のメンバーや天気、風向き…ひとつ変わっただけですべてが違ってくる。駆け引きの面白さは野球でキャッチャーをやってた時と同じなんです。トップに立った時に走りきる勇気とか、タイミングとか、すべてハマった時に最高のレースができる。それがいちばんの楽しさかな」
 
そういう意味で2018年は、春のロサンゼルスを皮切りにパリ、ロンドン、ソウル、ベルリン…と次々日本人最高位をたたき出し、まさに“ハマった”活躍を世界中で魅せてきた。
「練習でもレースでも限界をつくらない」という彼の、10年にわたる努力と経験と情熱が大きな実を結んだ1年だったともいえる。
今、東京パラリンピック代表に“限りなく近い”選手のひとりであることは間違いない。
 
「パラリンピックに出て、成績を残すことが最大の夢。事故にあった時からずっとささえてくれた人たちや家族、仲間に恩返しがしたいんです」
 
 
一方で1日30キロ、週6日のハードな練習の合間をぬって、できる限り地元の小中学校に出かけては講演をするのもライフワークのひとつになっている。
 
「僕の体験を話すことで、子どもたちに人生は自分の思い次第で変わるってことを伝えていきたいんです。あの時『今動く機能を生かして、自分ができることだけを考えろ』といわれたからこそ、現在がある。前向きに生きることで人生は楽しくなるし、充実するんですよね」
 
「もし医学が進んで足が治るといわれても、もう車椅子のままでいいかなって思ってるんですよ(笑)。事故にあうまでの僕は、ただなんとなく毎日を生きてた。でもケガがあったから車椅子マラソンに出会えたし、今こうして自分が好きなことを思い切りやれる幸せがある。タイムが出なかったり、負ける悔しさがあったり色々あるけど、回り道するからこそ見えることもたくさんあります。つまずく楽しさも子どもたちには知ってほしいなあ」
 
ここ和泉からパラリンピックの舞台へ、そして世界の頂点へ――その日が訪れるのが待ち遠しくてしかたない。
 
 

2018/12/4 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔