私的・すてき人

地酒『上神谷』で堺を元気に!

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上神谷(にわだに)営業株式会社 代表取締役

くらたに おさむ

倉谷 修さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://yuniwanosato.com/

プロフィール

1951年 大阪市出身
1973年 京都産業大学卒業
2013年 自営業をリタイア後、酒造りのボランティアに参加
2017年 上神谷営業を起ち上げる
2018年 日本酒「上神谷」の販売を開始

還暦を過ぎたおじさんたちが、痛快に事件を解決していく人気TVドラマ「3匹のおっさん」――まるでそのドラマを地で行くように、高いハードルを飛び越え難題に挑みながら、地酒「上神谷」をつくりあげてしまった3人のオジサンがいる。
 
なかでもこの企画を自ら仕掛け、プロデューサーとして走り回っているのがこの倉谷さんだ。
「堺はかつて有数の酒どころやったんです。だからおいしい酒米がとれるはずなのに、今では休耕田ばっかり。なんとかここをもう一回活気のある場所にしたいなあと思ってねえ」
そこでヒラめいたのが、上神谷ブランドの酒造り。「上神谷のおいしい米を復活させて、それで日本酒を作れたら最高やなあと。実は自分がおいしい酒を飲みたいだけやねんけどね(笑)」
 
チャレンジにトシなど関係ない。アツい思いさえあればきっと扉は開く。彼らのチャレンジが生んだ地酒「上神谷」が、どんな風に泉北を変えていくのか、元気を呼びこむのか…挑戦のゆくえが楽しみだ。

メダカが泳ぐ田んぼで無農薬の米を

きっかけは、自らも参加している地域の子ども会「にわしろっ子」で、子どもたちに収穫体験をさせようと上神谷の畑を借りに行った時のこと。

「たくさん農地はあるのに、ガランとしてて誰も後を継ぐ人がいないのかなあと。ここは粘土質で寒暖の差も激しい、だからどこより粒の大きい上質な米が育つはず。それやのに高齢化や人口の減少で、農業も町もどんどんすたれていく。もったいないなあ、なんとか僕らの力でもう一度この町を盛りあげたいなあって思ったんですよ」
 
たしかにここ堺は明治時代、酒どころとして栄えていた。100近い酒造業者がひしめき、それを支えていたのが上神谷をはじめ泉州で育てられた良質な酒米だったのだ。
 
「じゃあもう一度ここ上神谷の酒米を復活させて、その米で絶品の日本酒作ってみようやないか…」
 
その第一歩として彼がこだわったのが「安全でおいしい無農薬の米をつくりたい」ということだった。だがどこへ頼みに行っても答えはノー。この人手不足のなか、今さらイチから米作りに取り組もう、協力しようという農家は現れない。
 
そんな時「それなら僕が作ったる!」と登場したのが、7年前から“不耕起栽培”に端を発した寺田流自然農法で「ビオガルテンゆにわの里」を泉田中で営む寺田将樹さんだった。
不耕起栽培とは『田を耕さない』という、今注目の画期的な農法。農薬はもちろん化学肥料も一切使わずに自然の力でイネを育てるから、安全で旨みたっぷりの米になるのだという。
「寺田さんの田んぼにはメダカがいっぱい泳いでるんですよ。なんて素敵な光景なんやろうと思ってね。子どもたちにも安心して農業体験してもらえるなと」
 
こうして「チーム上神谷」にふたりめの仲間が加わった。

売れなかったら買い取る覚悟で

やっとのことで山田錦の栽培ができても、それを酒にするためには免許を持った酒蔵の手を借りるしかない。だが、そこでもまた難題が持ち上がる。

「どこの酒蔵に頼んでも、やっぱり返事はノー(笑)。アルコール自体の消費が下がってるうえに、さらに日本酒は右肩下がり。新しい酒なんかつくっても、シンドイだけで売れへん、というのが理由だった」
 
そこで登場するのが、3番目の同志となる泉佐野の「北庄司酒造店」だ。
「オモシロいやん、っていってくれてね。難しいけど、思い切って新しい酒造りにチャレンジしてみよう!って」
 
上神谷米の良さを最大限に発揮したいから「90%(を残す)の精米歩合でやりたい」と主張する彼と、「それは無謀や」という杜氏との意見の食い違いにはじまり、お互いの思いをぶつけあっての丁々発止の話し合いが続く。
精米すればするほどすっきりした味になるが、同時に旨みとなるアミノ酸やたんぱく質もなくなってしまう。
「結局間をとって80%で仕込みました。雑味があるという言い方もするけど、逆にそれもうま味やと僕は思うんです」
 
「売れへんかったら、僕がすべて買い取る!」との覚悟で挑んだ渾身の日本酒「上神谷」は、皆のアツい思いを受け取ったかのように熟成し、深いコクと旨みが独特の味わいを醸しだす地酒に仕上がった。
 
泉北高島屋での売れ行きも上々で、そのおいしさは口コミで徐々に広がり始めている。
 
「田んぼのまわりを子どもが走り回る、そんな賑やかな田園風景をいつか見てみたいんです。これから先もお酒をつくり続けていくには、借りている田んぼだけではとてもじゃないけど足りない。だからたくさんの農家が参入してほしいし、若い世代が誇りを持っ
 
て農業をやってほしい。その副業としてこの酒造りがあってもいいと思うんですよ。そして若い人たちが、10年後、20年後につなげていってくれれば、未来は変わっていくと思うんです」
 
米の詩人サミュエルの名詩「青春の詩」を思い出した。
「すぐれた想像力、たくましき意志、燃ゆる情熱…こういう様相を青春というのだ。年をとっただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」のだと。
現役をリタイアしてからの人生、その先どう輝くかはその人次第だ。
「60歳過ぎてからの方が、ほんとに楽しくてね。大きな夢ができて、自由になんでもできる。今が最高かも(笑)」
 
 

2019/2/26 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔