私的・すてき人

発想はいつも“自由人”

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株式会社のらや 代表取締役

いけお まさよし

池尾 眞美さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://www.noraya.com/

プロフィール

1959年生まれ、堺市草部出身
辻調理師専門学校卒業後、
軽井沢プリンスホテルで洋食部門を担当。
32歳で大阪に戻り
1996年岸和田に「のらや」一号店をスタート

「面白いうどん屋さん知ってる?」―― わが和泉の町に登場した時、主婦の間でひとしきり話題になった「のらや」。頭をぶつけずには入れない入り口、なんでここにあるん?という丸太のブランコやシーソー・・・なんとこれ、みんな彼の手作りと聞いてビックリ。「実は店も、テーブルもぜ~んぶ僕らの手で作ったんですわ。なかなかでしょ」とニヤリ。

ひょうたんからコマ

人生は面白い。どこでどんなコマが出るかわからない。
「コックてカッコええなあ!」とひらめいたのは、高校を出て信州・蓼科でプール監視員のバイトをやってた頃。昼はプール、夜はリゾートホテルで調理を手伝う、まあ早い話が今でいう“フリーター”のハシリ。
フリーターなんてククリもなかった当時、気ままにこんなことが出来るのはまあ、相当の自由人。だがひょうたんからコマ、厨房で皿洗いをするうちシェフのカッコよさに憧れて、いつしか“食”の道へ入ってしまう。
大阪に戻って「辻調」に入ったものの、卒業するやまた軽井沢へUターン。洋食のシェフをしながら冬はスキー三昧「とにかくじっとしてられへん」というますますの自由人ぶりで、いつしかスキーの腕前は一級に。

ぜ~んぶ手作り

「自分の店を持ちたい」―― 37歳、いよいよ岸和田で「のらや」発進。
ここでも発想はユニーク。「とにかくお金がない、なら自分で作ったろ!」と、毎日ねじりハチマキでトンテンカン。
早朝から和歌山に走り、丸太を仕入れて製材。それを大阪へ運びカンナがけから組み立てまで・・・と一ヶ月半で、小さなラジエータ工場は見事にほのぼのとあったかい、田舎風の館に大変身。野良小屋みたいだから「のらや」。「やればデキルもんやと、ヘンな自信に満ち溢れて」いよいよのスタートを切った。

「価格破壊がしたかった」というとおり、おトク感いっぱいなのがヒット。その後これまた手作りで建てた和泉店は口コミで大人気となり、手打ちうどんに天ぷら、黒米おにぎりまでついて900円ちょいという「わがままうどん天食」は、安さとツルンとしたのどごしでファン急増。この店が起爆剤となって、やがて東京にも進出、10年で30店舗にまで成長した。

夢は意外や「僕ほんまは洋食のコックやったんです。だからいつか洋食の店をやりたい・・・」
ひとところにじっとしていられない、やっぱり“自由人”なんやなあ!

2006/06/30 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔