私的・すてき人

堺の地酒復興を!

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「夢衆」座長

さいじょう ゆうぞう

西條 裕三さん [大阪府堺市在住]

公式サイト:

プロフィール

1942年 河内長野出身
甲南大学卒業後、家業を継いで酒造業の道へ
5年前脳内出血で倒れ引退 それでも酒造りへの夢は消えず
2005年堺ならではのブランドをと、「さかい銘醸」を設立する

「堺に地酒を復興させたい!」――この熱い想いが、何人もの男たちの夢をつないだ。かつて酒造りにわいた堺の町も、時代とともに失速し“町衆文化”など無縁のニュータウンに。
「このままやったらアカン。もっかい、ほんまに美味しい酒を造って自慢の町にしたい・・・」
脳内出血で生死の境をさまよい、当時話すことさえおぼつかなかった彼のもとに「一緒に夢を見よやないか」という人々が集まってきた・・・そして堺発の酒「夢衆」が生まれる。

堺にもっかい酒造りの火を

とろ~っと甘い「天野酒」を30年間育て、銘酒といわれるまでに造り上げてきた西條さん。だが5年前の正月、突然の病に倒れる。生死の境をさまよった後、堺・浜寺でリハビリをしていた彼を励ましてくれたのが、大学の仲間やOBたちだった。「あんたにもう一度頑張ってもらわんと。この堺ならではの酒を造ってみたらどやろ?」

実は堺には大正時代、蔵元が100軒以上もあったと聞いてビックリ。
酒どころと呼ばれたこの町もその後徐々に活気を失い、昭和46年を最後に酒造りの火は消えてしまったのだという。
「地酒の復興」を聞いて感激、まっさきに応援してくれたのが長年、山田錦を仕入れてきた徳島の農家の人たち。そして西條さんを慕って天野酒を後にした杜氏・・・「みなが一緒にやろといってくれた。自分だけでは何もできへん。じゃあ一発、美味しい堺の酒を造ったろやないかとスタートしたんです」

夢を大事に育てていきたい

だが、ひとつ問題が。新たな酒造免許というのはなかなか取得が難しいんだそう。
そこで彼が考えついたのが「他の蔵を借りて酒を造る」というユニークな“出向型”。さらに政令都市になったことを受けて、堺市民からも「街のシンボルにしたい」と肩をたたかれ、40数年ぶりに「堺発の地酒」開発へ向けてプロジェクトがスタートした。

一方、堺の商店主らで作る町づくり団体「大小路界隈『夢』倶楽部」も、かつて名水とうたわれた地元「開口神社」の井戸水をぜひ利用してほしいと提案。最高の米と水、そして西條さんらのプロのノウハウがひとつになって、やがて一本の酒「夢衆」が完成する。やっぱりこれも甘~い、ふくよかな旨みが特徴。「辛いのがブームやったりしたけど、僕はやっぱり甘い酒が好き。だから造るんはいっつもトロットロ」とニッコリ。

「いつかは間借りやなく、堺に本物の酒蔵を。で、米も上神谷で作って、ぜ~んぶ堺でとれたもので最高の地酒を造れたら最高やな。ほんとに大事に大事に育てていきたいんや。そして若い人たちにそれを引き継いでいってほしいなあ」 たくさんの夢を背負ってまだまだ挑戦は続く。

2006/11/08 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔