私的・すてき人

やっぱり寄席はエエ、そういうてもらえる噺家に

File.029

落語家

かつら ふくまる

桂 福丸さん [大阪府高石市在住]

公式サイト: http://mscafe.cocolog-nifty.com/

プロフィール

1978年 神戸市出身 本名 中野正夫
      灘中・高校を経て 京大法学部卒業
2007年 桂福団治に弟子入り 1ヶ月で異例のスピードデビューを飾る

「電波の匂いがまったくせん!」師匠の福団治はそういい切った。
それが果たしていいのか、悪いのか?・・・
だが10数年弟子をとらなかった桂福団治師匠は、そんな彼の入門を許した。
“お笑いブーム”の再来でTVウケばかりを狙う新人が次々現れ、やがてブームの沈静とともに消えてゆく。そんななか「TVに出るより、ほんまに芸を磨きたい!」という一途な彼の思いは今、ゆっくり花を開かせようとしている。

京大から落語家へ

天下の灘校出身、京大卒。もちろんエリートの代名詞。
道は選りどりミドリだったはず、なんでまた落語家なん?
「 もともと舞台の上に立つ仕事をしたかったんです。それに、サラリーマンには向いていないとも思っていました。」
みんなが就職活動を始めても、「僕はお笑いをやる!」と動じない。まわりの方が「ほんまに大丈夫なんか?」と心配しきりだった。

立呑み屋でバイトしながら吉本興業の芸能学院「NSC」に入学。1年間通ったものの、話術とキャラでみなを笑わすハヤリの「漫才」には肌が合わない。卒業しても先の見えないまま、手さぐりの日々が続いた。

そんなある日、「英語落語」というものがあることを知る。小さい時、TVの落語を覚えて友達の前で披露していたことを思い出し、やってみようと思い立った。そして、大阪市内のある英会話学校へ。
そこは米朝門下の奇才、故・桂枝雀が「英語落語」という新しいジャンルを切り開いた時に足しげく通っていた学校。そこで英語落語を勉強しながら、「MASAO」の名でアメリカはペンシルバニアでも公演。
「人生で一番緊張しました(笑)。でもこれが結構むこうの子どもらにウケて。意外と通じるんやなあって」

桂福団治師匠との出会い

芸の引き出しは増えていくものの、依然先は見えない。いつまで続くかわからない長いトンネルの中、バイトで凌ぎながらコツコツ頑張る彼にひとつの出会いが訪れる。
今年2月、高石で落語会を行っていた桂福団治師匠と出会い、入門を志願、許されたのだ。
福団治師匠はめったに弟子をとらないことで有名だった。 やっと光がさした瞬間だった。

昼はバイト、夜は大阪・阿倍野の稽古場に通い、電車の中でもひたすら“ 修行”。その懸命さ、上達の速さは師匠をうならせ、なんとたった1ヶ月で初舞台という大チャンスがやってくる。
3月、藤本義一氏にもらった“福丸”の名で、いよいよのデビュー。
昔話で子どもを寝かしつけるはずの父親が、逆にやりこめられて寝てしまう「桃太郎」を熱演。大きな拍手が彼を包んだ。
「もうドキドキでした。けど落語は僕じゃない、他の誰かになりきれる。 そこが面白いです。」
たしかに、舞台にあがるとスイッチが入ったように変貌する。キマジメでどこかおとなしそうだった青年が、自由自在に表情を変え会場を巻き込んでゆく。

「TVじゃ味わえない、ナマの舞台のオモシロさ。それをもっともっと伝えていきたいんです。ああ、やっぱりわざわざ見に来て良かったなあ・・・てゆうてもらえる、そんな芸人になりたい」
“ブーム”という時代の風に開く花もあれば、地道にしっかり根を張る樹木もある。こんな人がいるから“芸”は続いていくんやなあ・・・。

2007/05/11 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔