私的・すてき人

暮らしとともにあってこそ、ガラスは呼吸する

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ガラス工房「fresco」代表

つじの たけし

辻野 剛さん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: http://www.studio-fresco.com/

プロフィール

1964年 大阪市出身 大阪デザイナー専門学校卒
1985年 アメリカに渡り、ピルチャックなど様々な学校や工房で吹きガラスを学ぶ
2001年 和泉にガラス工房「フレスコ」を創立

いわばガラスアート界の“異端児”。
常識やら権威やら、よけいなモノをさっさと飛び越えて思うままに好きな道をゆく。
とろけるようなフォルムと不思議な色あい・・・独得の空気を生む器を創る彼は、意外にも穏やかでオモロイ、笑顔の人。みかん畑に囲まれた工房には、そんな彼を慕ってたくさんの若者が訪れる。

想いがカタチに残る仕事がしたい

なんと調理師になるはずだった彼の人生。調理師学校にも通い、日本料理の修業もしたのに「料理ではなく、違うモノ作りがしたい・・・」。
「一生懸命作っても、一瞬で消えてしまう。自分の造ったものがカタチで残る仕事がやりたいなあって」
そんな時、たまたま出かけた「世界現代ガラス展」。そこで受けた衝撃波は、まさに人生を変えるターニングポイントになる。「これがほんまにガラス?!・・・って信じられへんかった。なんやメチャクチャ面白いやん!って、スゴイ可能性を感じたんです」

さっそく独学で15教科と格闘し、大検にチャレンジ。高校卒業の資格を得ると「大阪デザイナー専門学校」へ入学した。だが、当時ガラスは工場で量産されるだけの、アートとしてはオモシロ味のないもの。技術的にも日本のレベルは低く「もっと学びたい」の思いは募るばかり。
「こうなったらアメリカや!」
卒業から3ヶ月、バイトで稼いだお金を手にアメリカへ飛び出した。

目からウロコのガラスマジック

当時アメリカは、60年代に起きた「スタジオグラス ムーブメント」が、ちょうど熟してきた時代。工場でなく、アーティストが自分の工房を持ち作品を作るスタイルのことだ。そんなグラスアーティストたちの技術や工房のノウハウを学ぶうち、ひとつの大きな出会いが訪れる。

イタリアはベネチアングラスの技法を伝えようと訪れていたリノ・タリアピエトラ氏。ピルチャックでたまたま取った講義が、彼の担当だったのだ。
「彼の吹きガラスを見たとたん、これは絶対マジックやと。目からウロコ、もう全身トリ肌もんやったんです」
それまで、ベネチアングラスの技法といえば“国家機密”みたいなもの。「でも彼は後継者を育てたいと、あえてアメリカに来て公開した。彼に出会えたことはほんとにラッキー!」
その後もオレゴン、シアトル、カリフォルニア・・・あちこちの工房で腕を磨きながら5年半後に帰国。そして10年、ついに工場を改造した工房を持つことに。

ブルーのプレハブに赤のロゴが入った、ちょっとオシャレなこの工房、実は全部彼の手作り。ウソ?!と思うような大きなことに向かって、軽~く走りだすのはいつものこと。「お金無いし。自分でやったら半年ぐらいでできるやろ」と始めたものの、完成したのは2年半後。フローリングの床から机から、炉まで造ってしまったというから、とにかくモノ作りのプロだ。

1200度の炎のなかに広がる無限の可能性は、まさに彼そのもの。
「ガラスはアート。けど人の暮らしのなかにあってこそのアートやと思う。芸術も大事やけど、それが器として使われへんかったら意味が無い。どの家庭にもちょっとオシャレな手作りのグラスが置いてある、それが僕の夢なんですわ」

2007/10/12 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔