私的・すてき人

魂を癒す“ソウル メッセンジャー”に

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ゴスペルシンガー

ぶんや はんな

文屋 範奈さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://www.hannabunya.com/

プロフィール

1970年 大阪市出身
1994年 米国ミネソタ州立ムアヘッド大学卒業
1998年 駐日パキスタン大使館勤務を経て、ジョージワシントン大学院国際関係学部安全保障学科へ
1999年 帰国後ゴスペルと出会い、シンガーとして活動を開始。各地でライブや講演を開く一方、近畿大学ではユニークな「けんか英語」を教える。今年3枚目のアルバム「いつだってどこだって」もリリース

一生に人は幾度か“生まれ変わる瞬間”というのがあるのかもしれない。彼女にとってその瞬間は、まさにゴスペルに出会ったことで訪れた。
「君の歌からは何も伝わってこない。心から歌ってないからだ」先生にそういわれた時、初めて自分の抱えていた傷みに気づく。「私、本当はすごいツラかったんやなって。悔しいこと、苦しいこと全部フタをしてごまかそうとしてた。そんな自分を認めた時、涙がとまらなくなって、もう号泣……あの時私は生まれ変わったんです」

アメリカの大学院に留学し修士の学位を修得するも、自律神経失調症とひどいアトピーで夢なかばにして帰国。半年間家から出られないほど、体も心もボロボロになっていた彼女をすくいあげた“ゴスペル”。そんな彼女だからこそ「あなたはそれでいい、あなたのままで……」その歌からは熱いメッセージが聞こえてくる。

異色のキャリア

「みんなと違うことがしたい、オモシロイことがやりたい!」それが彼女の原点。高校の時、アメリカはミネソタのワデナ高校に1年間の交換留学。さらにジャーナリズムが勉強したい、と再びアメリカの大学に留学。5年間で培った英語力と国際感覚を生かして、帰国後はパキスタン大使館の報道部に勤めることに。

「留学してる時、なぜかパキスタンの学生がいっぱいいたんです。それでなんとなく親近感があって。昨年暗殺されたブット元首相が来日した時には、アテンドしたりしたことも」
だが次第にパキスタンは核をめぐって、インドとの開発競争を激化させていく。
「安全保障、軍事のことをもっと勉強しなきゃと思いはじめて…。日本と外国との橋渡しになれる専門家も必要なんちゃうん?と勝手に思ってしまって(笑)」

ひらめきと抜群の行動力でまたも渡米、今度は大学院で「軍事と安全保障」を学ぶ。最終方法としての戦争をどう避けるか、攻撃した場合の統計学、ネゴシエーション(交渉)…。だが、週に専門書を10冊以上も読まなければついていけない厳しい授業、プラス軍事専門誌でのインターン…忙しさとストレスで限界だった体はついに悲鳴をあげる。

ゴスペルが開いた“再生”へのドア

家から出られないほどのアトピーと自律神経失調症…どうしようもない悔しさや傷みを抱えたまま、帰国の途に着いた範奈さん。半年かけてやっと体が回復した時「ああ、もうこれからは好きなことをやってやろって思ったんです。どうせゼロからのスタートなんやからって」

そんな時家族に「ゴスペル流行ってるらしいけどやってみたら?」と勧められ、講習に参加する。ハンナという名は、キリスト教でいう「神のめぐみ」。クリスチャン一家で育った彼女にとって、幼い頃から教会や歌はいつもとなりにあった。そして先生のひとことから開いた“再生”へのドア…。
ゴスペルはもともと、黒人奴隷が苦しみや悲しみのなかで生きてゆく希望や勇気を歌ったもの。傷ついていた自分を認めた時、その人生とゴスペルがぴたり重なった。

「私にできることは励ますこと!人生には壁もあるし絶望もある。でも決してそこで終わりじゃない。“ソウル メッセンジャー”として、誰もが抱えている傷みや想いを歌にたくしていきたい。そしてそれを聞いた人が少しでも“癒し”や“勇気”を感じてくれれば…」
4年前には有名シンガー、ジョン・ブラックと、スイス全国ツアーを行い、延べ2万人を動員。世界への一歩として大成功をおさめた。

一方で大学生に英語を教えるのも、彼女の「励ましたい」という姿勢のひとつ。
「私は何も教えない。やりたいことは自分自身がわかってるはず。だから私はそれを応援するよ、と学生にはいつもいうんです」
モットーの「けんかができる英語指導」というのも、彼女らしくめっちゃユニーク。「自分の得意分野を知り、さらに相手を知らないとケンカなんてできない。それくらいのコミュニケーション能力を持って!」と、本場の生きた英語が生徒たちにも人気だ。

夢は「すべての人にゴスペルを!です(笑)」 世代や宗教、言語の壁を越えすべての人が聞ける、歌えるそれを「ユニバーサル・ゴスペル」と名づけた。「ツライ時はゴスペルを聴いて泣いたら元気がでた…そんな風にたくさんの人に心に広がっていってほしい」

2008/06/20 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔