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私的・すてき人

6度目の挑戦で獲った直木賞、人生の借りを返したというのが実感でした

File.046

直木賞作家

なんば としぞう

難波 利三さん [大阪府堺市在住]

公式サイト:

プロフィール

1936年 島根県大田市出身 
関西外国語短期大学中退後、プラスチック業界新聞社に勤務するも結核で療養することに
1972年 「地虫」で第40回オール読物新人賞受賞
1984年 「てんのじ村」で第91回直木賞受賞  TVや講演でも活躍中

「今までわが国に無かった“民衆の小説家”が現れた」……小説「地虫」を発表した時、
亡き作家・大佛次郎は彼をこう評した。

「純文学」が鮮やかに時代を切り取ったり、肥大した自己意識を打ち上げる花火だとしたら、「大衆文学」は導火線に点された炎のようなものだ。巧みなストーリー展開、ふとした会話が浮き彫りにする人間の性……こちらにページをめくらせる圧倒的な力を持つ作品だけが、読み手をグングン引っぱって最期に大爆発を起こさせる。

その大衆文学のてっぺん、「直木賞」を獲った彼の作品には、社会のかたすみに生きる人たちのおかしさや哀歓、光があたることの無い人生がしみじみと描かれている。そしてそこには彼自身もまた、そんな大衆のひとりなんだという想いが透けて見える気がする。
貧乏ゆえに経験した数え切れないアルバイト、大学中退、5年にもおよぶサナトリウムでの療養生活……思うようには進まない、「1回休み」の多いすごろくのような人生を送ってきたからこそ描ける人間のオモシロさや哀しさ。
「自分自身のためというより、読んでくれる誰かのために書きたい」という彼の中にはたしかにドロくさい、けれど温かい“民衆”と同じ視線が在る。

病気療養で見つけた作家への道

結核でサナトリウムに入っていなかったら、作家・難波利三は誕生していなかったかもしれない。

大学の寮で暮らしながら、とにかく無数のアルバイトをした。製材所、地下鉄の工事、ガソリンスタンド……変わったところではギターを手に夜の街を流したことも。7人兄弟の大家族で育ち、とても学費まで親に頼れなかった彼は、授業に出るヒマさえ無くアルバイト漬けの日々を過ごす。やがて「このまま籍だけ置いていても仕方ない」と大学を中退。プラスチックの業界新聞に就職するものの、無理がたたったのか喀血し、貝塚のサナトリウムで療養を強いられることになった。

「当時は薬も無くて、寝てるしかないわけです。暇をもてあましていた時、図書室で初めて本を読んでみたらこれがまあ面白い!世の中にこんな楽しい世界があったんやて、もう夢中で。先が見えない焦りや病気を忘れさせてくれる、いわば“逃避”やったんでしょうね」
入院から3年、500冊近い本を制覇した彼は「今度は自分でも何か書いてみたい」と思うようになる。――肺病で入院していた男のもとを訪れる婚約者。だがやがて2週間に1回、1ヶ月に1回と彼女の足は遠のいて――という物語「夏の終る日」を、『小説新潮』の短編募集に応募してみるとこれがいきなり入選。「これね、ほんとは僕の話なんですよ。病気で女にふられる…ってゆう(笑)。でも嬉しかった、しかも賞金5千円!うわぁ、小説って儲かるンや、こりゃエエなあと思てしもたんが始まりですわ」

その後2回同じ企画に応募するが、どちらも入賞。不運をまさにチャンスに変えて昭和41年、5年3ヶ月の長い療養生活から抜け出すことになった。

「てんのじ村」が運命を変える

退院後、出会った今の奥さんのもとに転がりこみ、2人は天王寺で学習塾を始める。
「僕は英語を教えてたんですが、午前中はヒマなわけです。で、そや僕には小説があった、もっぺん書いてみたいなと思たんですね」
小説家になるなら賞がほしい。だがはたして自分は芥川賞を目指すのか、はたまた直木賞なのか……「その時、僕は大衆小説向きやなあと思たんです。自分のためじゃなく、読む人のために面白い話を書きたい。じゃあ直木賞やと、セッセと書いては『オール讀物』に投稿し始めたんです」
そして35歳の時、ついに露店で働く父娘を描いた「地虫」で新人賞を受賞。
その後この「地虫」をはじめ「雑魚の棲む路地」「イルティッシュ号の来た日」など次々直木賞候補となるが、落選。「5回も賞をのがすともうネタがなくなってきてね。そんな時、あんたの住んでるすぐ近くにてんのじ村いう芸人の村がある、面白いんちゃうか?って教えられたんです」

ちょうど大阪市大病院のふもとに、芸人長屋が連なる「てんのじ村」はある。かつてミヤコ蝶々、人生幸朗、海原お浜・小浜ら300人以上もの芸人たちが暮らし、そして去っていったその村に残る長老、吉田茂さんに取材を申し込むが門前払いで相手にされない。訪ねては追い返され、やっと胸を開いてくれたのはなんと半年後。
その吉田さんこそ後に小説「てんのじ村」の主人公となる花田シゲルのモデルだった。それから3年もの間、彼らとともに地方を回り、まさにふところに飛び込んでの取材が続いていく。

だが、そんな格好のネタを持ちながら日々の雑事に追われ、原稿を1日伸ばしにし続ける彼の前に「実業之日本社」の文芸部長が現れた。いつまでも書かない彼に業を煮やし、ムリヤリ引っ張り出して「志賀高原ホテル」に缶詰めにしたのだ。
「『書いてる、大丈夫や』ゆうて本当は書いてないの、彼にはお見通しやったんやね(笑)」 仕方なく持ったペンだったが書き出したらもう一気。取材ノートを開くことさえなくアッという間に393枚の原稿を仕上げた。そしてこの「てんのじ村」は林真理子、落合恵子らマドンナ候補の作品をおさえて、見事第91回直木賞に輝く。
「もう一度甦ることが出来たのは、尻をたたいてくれた部長のおかげ。受賞の瞬間?なんかホッとしたなあ。ずっと重荷になっていたものがとれたってゆうか、人生の借りをやっと返したっていう感じ…」

現在は故郷・島根での「ふるさと文芸賞」、「堺自由都市文学賞」の選考など若手の発掘にも力を注ぐ。「面白い人たちが出てきてる。これからが楽しみです」

2008/10/24 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔