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私的・すてき人

結果がすべてじゃない。 頑張ってきた時間こそが私の宝物

File.049

北京オリンピック シンクロ日本代表選手

たちばな まさこ

橘 雅子さん [大阪府堺市在住]

公式サイト:

プロフィール

1983年 堺市出身 6歳でシンクロナイズドスイミングに出会う
2001年 四天王寺高校を経て桃山学院大学へ 
2005年 「モントリオール世界水泳選手権」の団体で銀メダル 後W杯、アジア大会など多くの大会でメダルを獲得
2008年 北京オリンピック出場 団体5位入賞 現・桃山学院大学職員

「ヤリキッタ!っていう感じ。なんの悔いもないです」
18年間水の中で舞い、戦ってきたマーメードはぬけるように爽やかに笑った。
日本のお家芸とまで呼ばれ、オリンピックでは「メダル死守」の重荷を背負わざるをえなかったシンクロ代表メンバーたち。だが台頭してくる世界の勢いは止められず、結果はメダルを逃し5位入賞にとどまった。
「悔しくなかったといったらウソになる。でも負けたからこそ、ほんとに大切なことに気づいたんです。結果が全てじゃない、必死で頑張ってきたその時間が一番の宝物なんだって……」
オリンピックのメダルとは違う、だが人生にとって何よりも大事なものを手に入れて彼女は引退を決めた。

いつも前向き、超ポジティブ

「北京まで」――そう心に決めて、1日8時間以上にも及ぶ練習に明け暮れた。
浜寺水練学校で初めてシンクロの演技を見た日から18年、いつも前だけを見つめてきた。
「泳ぐことがほんとに好きやったんです。次の目標、それを達成したらまた次へ…って、努力すれば結果はついてくる。それが楽しくて」

中学1年でジュニアオリンピックに出場し、3年連続チーム優勝。さらに高校、大学とナショナルチームのメンバーに選ばれ、まさに順風満帆……と思いきや、彼女の前には実はいつも身長という大きな壁が立ちはだかっていた。
身長制限のあるシンクロ界にあって159cmという小柄な体は、かなりのハンディを背負うことになる。だがそこは、コーチいわく「根性のある子」。並はずれた負けん気と努力で、そんなウイークポイントもハネのけて見事「日本代表」の座をつかみ取った。
「ほんとは“シンドイ、いやや”って何回やめようと思ったか(笑)。でも、曲にのって泳ぐあの楽しさが忘れられないんですよね」

そしてついに手にしたオリンピックへの切符。
だがアスリートとして最高の栄誉は、また同時にジャパンを背負う重圧と戦うことにもなる。
「超ポジティブ!プラス教の教祖やろ!ってみんなにいわれる」ほど前向きな彼女も、
今回だけはさすがに「メダルが獲れなかったらどうしよう、もう日本に帰ってこられへん」とこぼした。

シンクロの楽しさを子どもたちに伝えたい

日本をトップレベルに押し上げ、“シンクロの母”とまでいわれた井村雅代コーチが中国に流出した時から、厳しい闘いになるのは誰もが予想していた。しかも背の高さ、長い足……世界との体格の差には、埋めがたい距離がある。
フリー演技では世界中が見つめるなか、メンバーの一人が酸欠で倒れるほどの熱演を見せたが結果は5位。

「でも思ったより早く立ち直れたってゆうか……閉会式にはもうスッキリ!(笑)あの時メダルを獲ってたら、ああウレシイで終わってたと思うんです。でも結果が出なかったことで私のなかに得るものがたくさんあった。結果より大切なのは目標に向けて頑張ること、投げ出さずに努力した日々。それこそがスゴイんやと」

4年に一度の祭典は終わり、陸に上がった“水の妖精”は放心状態になること1ヶ月。
「ああ、もう泳がんでいいんや~って。シンクロやめたら私、どうなるんやろって思ってたけど、1ヶ月でなんとか社会復帰できました(笑)」

今は大学勤務のかたわらコーチとして、子どもたちに泳ぐ楽しさを教える日々。
「もっともっとシンクロを浸透させたいんです。野球やサッカーみたいにみんなが気軽に楽しめるスポーツになったらいいなと。そしてシンドイからツライからってすぐ放り出さずに、ひとつのことを続ける大事さを伝えていきたい。私もそうだったように、その経験は人生の宝物になると思うから」
技術だけではない、世界を見たからこそ伝えられる何か……いつか彼女のもとでトップアスリートが育つのを見てみたい気がする。

2009/02/03 取材・文/花井奈穂子 写真提供/ 桃山学院大学