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私的・すてき人

街にプロの芸術家が集い、そこに新しい文化が生まれる・・・そんな環境を創りたい

File.063

「大阪交響楽団」 楽団長

しきしま てつお

敷島 鐵雄さん [大阪府河内長野市在住]

公式サイト: http://www.sym.jp/

プロフィール

1956年 大阪市住吉区出身
1980年 早稲田大学卒業後、商社勤務
1991年 母、博子さんが立ち上げた「大阪シンフォニカー」事務局長に就任
2009年 同楽団が文化庁芸術祭大賞を受賞
2010年 30周年を機に楽団名を「大阪交響楽団」に

「坂の上に輝く白い雲だけを見つめ坂を登っていく・・・・・・そんな『坂の上の雲』みたいな心境なんです。目の前の大変さよりも、いつもずっと遠い未来を見つめて歩いていくだけ・・・」

坂をひたすら登りつめてゆけば、やがては近代国家に手が届くと信じた若者たちの姿を描いた、司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」。遠く空にたなびく雲を“夢”にたとえるなら、彼はどんな夢を目指して今、坂を登っているのだろうか・・・

商社マンからオーケストラへ

30年前、母・博子さんの「主婦の夢」から生まれたプロのオーケストラが、この「大阪(旧 大阪シンフォニカー)交響楽団」だ。資金も人脈もノウハウも、ナイナイづくし。「若い音楽家に活躍の場を」という夢だけで誕生したこの楽団をやがて引き継ぎ、時に役所と闘い、スポンサー集めに走り回り、汗だくで牽引してきたのが彼なのである。

「苦労なんていいだしたら、もうきりがない。あのね、お金が無いでしょ、だから資料は全部楽譜の裏紙で作るし、コピー1枚を惜しんで手書きにしたり。チラシもずっと一色刷りしかできなかったのが、東京公演をきっかけにやっとカラーで刷る事ができたんです。あの時はうれしくて、涙が出ました」

大学卒業後11年間は、まったく畑違いの商社マンだった。「音楽やりたいなんて、思ったこともなかったんですよ。普通に仕事してゴルフして・・・それが突然母から『手伝ってくれ』て電話かかってきて、決断せざるを得なくなった。けど東京からこっちへ戻って来て、楽団の現実を見たとたん『えらいとこへ来てしもた』って・・・。お金も人手もないし問題は山積み、そんなアホな・・・って感じでした(笑)」

「音楽でメシは食えない」とよくいうが、オーケストラもけっして効率のいい商売ではない。会場、練習場の費用、楽団員と楽器の移動・宿泊、楽譜の使用料、広告費・・・と莫大な費用がかかるわりに、ホールには1500人前後の観客しか入れない。単純に数えると、一晩で数百万円の赤字が出る計算になる。
しかも自治体などの援助が無いとなれば、会員やスポンサーをひたすら集め、チラシは5回分を1枚に、プログラムは作らない・・・と苦労や工夫は並み大抵ではなかったはず。
「とにかく必死で漕ぎ続けないと、波にさらわれるか、流されるか・・まさに闘い。それでもここで終わらせたくない、オーケストラの素晴らしさを知ってほしいと必死でした」

子どもたちに音楽の素晴らしさを伝えたい

そんな荒波のなか、楽団にひとつの転機が訪れる。新しい音楽監督・首席指揮者に、ドイツで活躍していた児玉宏氏を迎えたのだ。
「オーケストラは公のもの。多様な選択肢を提供することに意義がある」という氏のポリシーのもと、プログラムは一新。ファンでも耳にしたことのないような斬新な曲がズラリ並ぶようになる。

「珍しい曲だからといって、つまらないワケじゃない。聴いてみて曲を好きになる人も多いんです。それに演奏する側も、新しい曲だと取り組む意欲がわいてくる」
こうして年10回の定期演奏会は、関西5大オーケストラのなかでもひときわ異彩を放つものに。

そしてその姿勢は音楽界からも大きな評価を受け、2008年には文化庁芸術祭で優秀賞、堺市栄誉賞を受賞。さらに今年は、文化庁芸術祭大賞にも輝いた。

そして今、彼が目指すもの――
「欧米で住みやすい街の条件っていうのがあって、それは地下鉄とオーケストラがあることなんです。つまり行政や市民にオーケストラという文化や芸術を育てていこうという姿勢があるってこと。街にプロの芸術家が集い、そこに新しい文化が生まれ、さらに違う文化を呼ぶ・・・・そんな環境が創れればいいなと」

そのために欠かせないのが、未来を担う子どもたちに、音楽の喜びや楽しさを伝えることだ。
同楽団も文化庁の助成を受けながらあちこちの小中学校へ出向き、演奏をこなしてきた。
だが一方で、先日行われた政府の事業仕分けでは、こうした鑑賞会を行う事業にも「圧倒的な縮減をする」という判断が下った。

「子どもたちに人生が変わったとか、楽しかったっていってもらえるとほんとにうれしい。文化は数字でなんか計れるもんじゃないでしょ。これからの世代に文化や感動をもっともっと伝えていかなアカンのに・・・」

どの街にも豊かな文化が根づき、人が人らしく育っていける環境・・・事業仕分けひとつを見ても果てなく遠い夢だが、それを叶えることこそが彼の“坂の上の雲”なのかもしれない。

2010/02/19 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔