私的・すてき人

いつか鞄ひとつ持ってフラッと日本中をまわる“お話しオジサン”になりたい

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落語家

しょうふくてい しょうし

笑福亭 松枝さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://shofukutei-shoshi.com/

プロフィール

1950年 貝塚市出身 
1969年 岸和田高校卒業後、故6代目笑福亭松鶴に入門
1999年 文化庁芸術祭 落語「立ち切れ」にて優秀賞 「ためいき坂くちぶえ坂」等の著書やエッセイも

すべてのはじまりは小学三年生の時だ。学校の授業に、ある日講談を聞かせてくれるオジサンがやってきた。
「今考えてみればプロかアマかもわからない、でもなんかいいなあと思たんですね。いろんな物語やお話をしてくれて、笑わせてくれる……なんか楽しそうやな、こんなオジサンになれたらいいなあと」

それから50年以上もの時が過ぎ、今や笑福亭の大看板を支えるベテラン落語家として、高座にあがりお客を笑いの渦に巻く毎日。
だが今でもなりたいのは、やっぱり幼い日に夢みた“おしゃべりオジサン”だ。

「鞄ひとつ持って、ブラ~ッとどこへでも出かけていく。そこでいろんなおしゃべりをして、フーテンの寅さんみたいに日本中をまわりたい。それが私の夢なんです」

えらいとこへ来てしもた

豪放らい落、酒と借金の逸話には事欠かない、まさに古き良き時代の芸人そのものだった、あの6代目松鶴の愛弟子である。
良くも悪くも“ヤンチャ”な師匠に弟子入りを志願したからには、相当の覚悟があってのこと?

「いやいや、家が近かった(笑)。 それは冗談やけど、なんとなくちゅうかね……当時四天王といわれてた落語家のなかでも、いちばん昔気質で古~い職人みたいなタイプに見えた。そこがいいなと思たんです」

「一応進学校だったんで、受験勉強もしてたわけです。そしたらその頃ちょう
ど深夜ラジオが人気で、たまに落語が流れてきたりする。ああこんな世界もある、人生にはこんな選択肢があったんやって思ったわけです。勉強の理屈っぽさとは正反対の、芸の世界に憧れたんかもしれませんね」

だが、弟子入りしてみてビックリ! 聞きしに勝る松鶴の強烈な個性に「2日目で、えらいとこへ来てしもた…(笑)」

「3回同じ落語をやってみせるから、その場で覚えてやってみいという。それが師匠流の稽古。けど初めて聞いてすぐできるわけないやないですか。つっかえるたびに『あほんだら、ボケ、カス、マヌケ、やめてまえ~!』。弟子をののしるボキャブラリーは、ほんとに豊富な師匠で…」

とにかくそこから4年にわたる、破天荒な師匠との笑いと恐怖(?!)に満ちた日々がはじまったのだ。

松鶴師匠の涙が彼を変えた

だがしばらくして、あるTV局のオーディションに落ちたことから、本人いわく“どん底”の時代が訪れる。

「同期3人のなかで私ひとりが落ちたんです。あんなにショックでツラかったことはない、毎日が針のムシロですよ。師匠のとこにお世話になって、ただでメシ食わしてもろて……私らにできるこというたら、早く一人前の芸人になることだけやないですか。それやのに僕は何してるんやろうって」

そんなある日、松鶴が名古屋での独演会に「松枝を連れて行く」といい出す。

「そら弟子もおかみさんも、みんなビックリです。正式な舞台を踏んだこともない自分が、師匠の前座として一席つとめる……落ち込んでる私を、師匠は励まそうと思てくれたんでしょうね」

だが本番、舞台に上がるもあまりの緊張に喉の奥はヒキつる、汗はダラダラ、重圧で自分の声も聞こえない……
「案の定、まったくウケなかったんです。『師匠にえらい恥かかせてしもた。もういよいよ、これでほんまに終わりや』と覚悟しました」

その夜、いつ「アホンダラ、おまえなんかやめてまえ!」と怒鳴られるかと身をすくめる彼に、松鶴は「冷蔵庫のビール持っといで、お前も飲み…」と声をかける。
松枝のコップにビールを注ぎ優しく、ただ「飲み…」とだけいったのだ。

「その言葉を聞いたとたん、自分が悔しくて、情けなくて、もう涙があふれてとまらない。しゃくりあげ、鼻ををすすり、ふと顔を上げると、なんと師匠までが泣いてたんです。こんな自分のために師匠が泣いてくれる…その時私の中に何かが生まれたんです」

落語がたまらなく好きで入ったわけでもない。それまでは偶然、この世界にフワリと足を踏み入れたようなものだった……だが、この日から彼は変わった。彼の中に生まれたもの、それは芸というこの道で生きていく覚悟のようなものだったのかもしれない。

そして気づけば40年以上この道を歩き続けてきた。
36席リクエスト独演会や、一日八席マラソン独演会などユニークな試みにも挑戦し、芸術祭でも優秀賞を受賞。最近では小学校や企業など様々なところへ出向いての講演も増えている。

「気がつくと、だんだん夢やった“おはなしオジサン”に近づいてきてるんですね。いろんなとこに呼んでいただいて、いろんな情報を発信できる。子どもたちには言葉の美しさとか、おかあさんたちには子育ての話とか…そんな機会がもっともっと増えると嬉しいです」

無類の読書家で、どんな社会問題にも自分の視点で斬りこんでいく。「現代の社会には想像力が欠けてると思いますな。みなが競争に勝てばいい、儲かればいい。そんなことを続けてたらどうなるか、子どもの将来はどうなるのか…考えなあきません。違うことは違うと自分にウソをつかずにゆっていきたい。もちろんちゃんと笑いのツボはおさえます、私には落語ちゅう武器がありますからね(笑)」

2011/09/06 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔