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私的・すてき人

舞台を通して、子どもたちの心に愛や平和の種をばらまきたい

File.087

劇団カッパ座 座長

ふるいち かおる

古市 カオルさん [大阪府富田林市在住]

公式サイト: http://www.kappa-za.co.jp/

プロフィール

1942年 北海道出身 
1960年 日大芸術学部演劇科入学  コメディアンで俳優の伴淳三郎の弟子に
1968年 友人とともに人形劇団「カッパ座」を立ち上げる
1975年 日米文化交流使節としてアメリカ9都市での講演を実施 またNHK教育テレビの「おーい!はに丸」「作ってあそぼ」などの企画制作にも携わる
1982年 NHKみんなの歌 「シャッキシャキの転校生」「先生ほんまにほんま」を作詞

クジラに呑みこまれて困ったピノキオが客席に問いかける、「ねぇ、どっちへ進めばいい?」――― すると会場は「みぎー!!」「右へ行って!」と叫ぶ子どもたちの声でいっぱいに。
どの子も「僕がピノキオを助けるんだ!」という使命感に顔を輝かせ、ともにハラハラ、ドキドキ。やがて冒険の旅を終える頃には、子どもらのなかに真の勇気や友情ってなんだろう…という問いかけが残される。

彼の造るステージは、いつも客席と舞台がひとつになる「観客参加型」だ。
人形たちは客席に飛び出し、子どもたちに語りかけ、ともに戦い、ともに迷い、問題を乗り越えてゆく。

「会場の子どもたちが、みんな大声で正義を叫ぶんですよ。その姿を見て親御さんも感動するし、安心するんです。僕は舞台を通じて、ひとりでも多くの子どもたちの心に、愛の種をバラまいていきたいんです。」

伴淳三郎に憧れて

彼が得意とする演出のひとつに、落とし穴がある。

主人公がそれと知らずに、ゆっくり落とし穴の方に歩いていく。すると子どもたちは思わず「危ない!」「そっち行っちゃダメ!」と声をあげる。子どもの心をグッと引き寄せる、彼ならではの仕掛けだ 。

ある「白雪姫」の公演で、彼はたまたま泣き叫ぶ赤ちゃんをあやしながらロビーに出てきた女性と話をした。その若いママは、なんと「小学校の時、私が白雪姫を助けたんです」というのだ。

「16年前、穴に落ちそうになった白雪姫に『危ない!』って叫んで助けたの、私なんですよ(笑)。あの時白雪姫が『ありがとう』っていってくれたのが、ずっと心に残っていて。だから自分に子どもが生まれたら、絶対連れてこようと思ってた。さっそくこのチビ連れてきました」と笑った。

「こんなに嬉しいことないよね。白雪姫は会場のみんなにお礼をしたのに、子どもたちは自分のためにいってくれた!と思う。だから心に残っていくんだよね」

それぐらい彼の演出は、子どもの心に大切ななにかを確実に刻んでいくのだ。

もともとは役者志望だった。
北海道の中学を卒業後、母のすすめで、ひとり大阪のPL学園の寮に入る。

両親の離婚で寂しがりやだった少年時代から一転、高校になるとバンドを組んだり、イベントの司会を買ってでたりと、オモロイことが大好きな“目立ちたがり屋”に大変身。
そんな頃、「アジャパー」の流行語を生みだし、まさ人気絶頂だった故・伴淳三郎の記事をたまたま目にしたことで、彼の人生は大きく動いていく。

「喜劇の王者って見出しに、これはスゴイ!、伴さんの弟子になろってすぐ決めてしまったんです。それからは日曜ごとに京都に通い、まさに追っかけです(笑)。で、ついに松竹の撮影所に押しかけ、弟子にしてくれって。そしたら早稲田大学か、日大の芸術学部に入れたら弟子にしてもいいっていわれた。どうせ無理やと思ってたんでしょう」

ところがその日から猛勉強を開始、ついに日大に合格し、その足で伴のもとへと駆け込んだのだ。

失敗から生まれた“古市ワールド”

「伴のおやじについて喜劇役者になろう」

その思いだけで弟子となり、大学3年の頃にはテレビドラマのレギュラーに使ってもらえるまでになる。
だが一方で、だんだん役者という仕事が見えてくると「今思えば生意気なんですけど、長ゼリフ徹夜でお覚えて行っても、ロケ現場で監督に急に変更されたり、なんかセリフをいわされてるロボットみたいやなあと思ってしまった。こんなんやったら、脚本を書いたり演出したりという“モノ作り”がしたいなあと」

その後、今は個性派俳優としても活躍する左とん平らと「東京喜劇座」を立ち上げるも、新聞のコラムに「お客より役者の方が多いとは!これが本当の喜劇」と笑評され「夢だけでは食っていけない現実を見せつけられました」

役者に疑問を感じだしたある日、彼にとってひとつの大きな転機が訪れる。PL教団の二代教祖から「人種や宗派を越えられる人行劇団を作ってみないか」という勧めが来たのだ。

「いくら好きなことをしたくても、食えないんじゃしょうがない。でもこの仕事なら好きな道で、しかもメシが食える。最高やないか!って」

腹をくくった彼は1968年、友人4人とたった1台のテープレコーダーを手に「劇団カッパ座」を立ち上げたのだ。

半年後には堂島の毎日ホールで念願の初公演。だが、そこには大きな落とし穴が待ち受けていた。
「幕が開いて10分もしないうちに、子どもたちは飽きて大騒ぎ。もう芝居にならなかった。大人が勝手に見せようとばっかりしてたんだね。思い上がってたんですよ」

そこから彼の試行錯誤がはじまる。
「どうすれば子どもの心をつかめるのか、メッセージが伝わるのか……」

そして苦しんだ末に生み出したのが「観客参加型」。子どもの世界に、自分たちが入って舞台を作っていこうというものだった。さらにブラジル公演をきっかけに舞台が客席をグルッと囲む360度型も導入。子どもの心をわしづかみにする“古市ワールド”は、こんなひとつの失敗から生まれたのだ。

今では大小合わせ年間1000回以上の公演をこなし、観客動員数はなんと58万人を超えるという。さらにNHK教育テレビ「おかあさんといっしょ」の“じゃじゃまる”など、子どもたちにおなじみのキャラクターも、次々と誕生させた。

「子どもに愛や夢を伝える人形劇って、国も人種もすべてを越えられる素晴らしい芸術。だから毎日使うお茶碗のように、芸術が普通の生活の中に溶け込めればいいなあと思うし、そんな環境を作りたい。そうすれば自然に子どもたちの胸にも、愛とか平和とか大切なものが住み着くと思うんだよね」

2012/2/23取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔