私的・すてき人

私の絵が、幸せへの入り口になってくれたら

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仏画家

あさい かなえ

浅井 香那恵(香舟)さん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: http://www.hakushu-an.co.jp/

プロフィール

1960年 大阪市出身 
1979年 浪速短期大学(現・大阪芸術大学短期大学部)デザイン美術科卒業
     「まどか(株)」入社
1985年 夫とともにグラフィックデザインと仏画制作の会社「メガアート」を設立
2006年 活動拠点を岸和田に移し「伯舟庵」設立
各地の寺院からの依頼で、修法に用いる仏画を制作 泉州を中心に講師も務める

ここのところ空前の“仏教”ブームだ。

今、女性が癒されたいナンバーワンが“僧職男子”。さらに2月に発売されたイケメン僧侶がズラリの「美坊主図鑑(廣済社)」も、出版社に問い合わせが殺到し、“寺ガール”たちのガイドブックとして売れ続けているんだとか。

座禅や写経、精進料理にもスポットがあたり、あちこちで特集が組まれる。
そしてこの仏画も、カルチャー教室などで今、静かな人気になりつつあるのだ。

「仏画を描くことは、自分と向きあう作業なんです。そして今度はその絵を観た人が仏さまを感じて、また自分と向き合う……波動っていうか、神さまの領域に入っていける連鎖なのかな」

スピリチュアルな魅力のある人である。

僧であれ画家であれ、仏の道に通じるということは「人は、何か大きな力によって生かされている」意味を学ぶことなのかもしれない。そして希望が見えない“今”という時代のなかで、若者たちが“仏教”に惹かれる理由もまた、そこにあるのかもしれない。

神がくれた仕事

昔から絵やマンガを描くのが大好きだった。「だったら芸大!」と高校3年になって急に猛勉強を開始、そのかいあって見事、速短期大学のデザイン科に合格する。
一方で家業だった印刷会社で、アルバイトがてら彩色などの仕事を手伝うようになったことが、今へつながる第一歩。

「あの頃、偶然やねんけど仏画が流行ってて、すごいたくさんの注文がきてたんです。仏画を印刷してそれに色をつける…その作業をこなしてるうちに、キッチリしたデザイン画描くより、私にむいてるなあと思いだして……」

卒業後も会社に「仏画部」という部署を作ってもらい、本格的に取り組むことに。

仏画は、古来の経典に書かれた仏・菩薩などの造像や、礼拝や念誦などの儀式の規定をつづった「儀軌(ぎき)」という書にもとづいて描かれる。
「宗派やお寺によっても、色や形が全然ちがう。さまざまな規則があって、それを一つひとつ勉強しながらのスタートやったんです」

そのうちにお寺から「手描きでうちの仏画を描いてくれへんか」という依頼が来るようになり、次第にその奥深さ、面白さにハマっていったのだ。

そして数年後にデザイナーだった夫と結婚。長男が生まれ、しばらく絵から遠ざかっていた時、あの阪神・淡路大震災が起こる。

「夫婦ふたりで会社を立ち上げてたんやけど、震災で取り引き先がなくなってデザインの仕事が来なくなったんです。どうしよと思っていたら、今度は不思議と仏画の依頼が来だした……それもね、なんとか食べていけるかな、ぐらいの量の仕事が。これって、なんかスゴイでしょ……神が私に仕事をくれてるんや、また仏画を描けっていうてるんやと。だったらこれからは神のために描こうって思ったんです」

神と、絵を観てくれる人をつなぐパイプ役に

それからは善光寺阿弥陀三尊、道成寺絵巻、西金寺の星曼荼羅……とさまざまな社寺からの依頼で、絵を描いてきた。

そのどれもが、来るべくして彼女のところへ来て、そして神の意志で行くべき場所へ行く。だから作品には名も記さない。芸術の本質は自己表現のはずだが、彼女の仏画に関しては少し意味合いが違うようだ。

「いってみれば私は“パイプ役”やと思ってるねん。神とその絵を観てくれる人とをつなぐっていうか……だから昔は、無心で描かんとアカンと思って、一生けんめい“無”になろうとしてた。でも無心になろうとしてる時点で、それも私の“我”やって、やっと気づいたんです」

今では、描いている時はちょっとしたトランス状態。
「もう至福の時なの。描かせてもらってる喜びっていうか、楽しくて、うれしくて……」 それこそ体力尽きるまで、一気に描きあげる。

こうしてずっと儀軌どおりに、依頼に添うように描き続けてきた彼女だが、ここ数年ちょっとした挑戦を始めた。

「私らしいオリジナルを描いてみたいと思うようになってね。こう見えて私、人の役に立ちたいっていつも思ってる人やねん(笑) だから私が今描いてるものって、お寺にわざわざ行かんと観られへんかったりするでしょ。そうじゃなくて毎日家のリビングにかけて見てもらえる。で、その絵を見て元気になってもらえる……そんな作品が描きたいんです」

人の役に立ちたい……その思いはいつも彼女の核になっている。この3月には、昨年紀伊半島を襲った大水害からの復興を支援したいと、チャリティーアート展を企画した。
「大阪と熊野の橋渡しになれたら……」そんな思いで夫と奔走し、多くの仲間とともに3日間にわたってさまざまなイベントを開催、義援金は熊野本宮大社などに届けた。

「誰かが幸せになれる……私の絵がその入り口になってくれたらええなあ、今はそんな想いでいっぱいなんです」

2012/5/17 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔