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私的・すてき人

癒しとは本来バランスをとること。大自然のかけがえのないバランスの力を音楽で伝えたい

File.101

ピアノ・シンセサイザーアーティスト・作曲家

まつお やすのぶ

松尾 泰伸さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://02ma.com/

プロフィール

1958年 和歌山県出身
1982年 大阪芸術大学卒業  舞踏集団「白虎社」と共に世界各地で演奏活動をスタート
2001年 ソロアルバム「for TERRA」をリリース
2004年 熊野本宮大社で「世界遺産登録祝賀奉告祭」奉納演奏 
2005年 高倉健主演の日中合作映画「単騎、千里を走る」のプロモーション映像音楽を担当
2013年 河口湖にて富士山世界遺産登録を祝う演奏会を開催予定

場所が人を呼ぶ―――そうとしか思えない現象が起きることがあるのだという。

大地は自らが招いた人物が音を奏で始めると、突風をおこし、空に虹をかけ、そしてたくさんの鳥や動物たちをいざなってくる。

理屈ではとても説明のつかない、そんな大自然の偉大さと不思議を彼は今まで何度体験してきたことだろう。

「熊野古道で演奏を始めると、自然のエネルギーと共鳴するっていうか、信じられないようなことが次々起こるんです。ザザぶりやった雨がピタッてやんだり、空にトビが旋回しだしていろんな生き物を連れてくる。カジカやリス、蛙、そしてビーバーやクジラまで… ハンパないパワーが押し寄せてきて、そこにいる人みんなを包んでいく」

その奇跡のような瞬間を目の当たりにした人から、また人へと話は伝わり、熊野での演奏依頼は増え続け、今ではすっかり「熊野が指名する男」になってしまった。
「僕を呼んでる!行かなきゃって思っちゃうんです(笑) 人と自然が共鳴していく醍醐味って、感じてみないとわからない。宇宙の意思っていうかね、人も自然も同じ星に生きてバランスをとってるんやなあって教えられます」

命がけだった「白虎社」との海外ツアー

今でこそ、ヒーリング音楽の先駆者として知られる彼だが、ミュージシャンとしてのスタートはかなり過激だった。

当時、山海塾と並んで前衛芸術をうたっていた舞踏集団「白虎社」。
全身を白く塗り、半裸で過激なパフォーマンスを繰り広げる彼らは、関西進出に向けて、音楽を担当するメンバーを必死に探していた。

一方の彼は大阪芸大で、卒業を前に制作展を行っていた最中だった。
尺八あり、アコーディオンありのかなりユニークなオーケストラを結成し、自らは指揮をして観客を楽しませていた。
その様子をたまたま見に来ていたのが、白虎社の面々。「この男しかいない!」そうひらめいた彼らは、いきなり暴挙に出る。

演奏が終わるやいなや「坊主で白塗りの男たちがバーッと押し寄せてきて、ウワッ~!って思ってるうちに連れ去られた!突然“拉致”されたんですよ(笑)」

この瞬間、彼の人生は180度変わることになる。

「3月に“拉致”されて、11月にはもうワールドツアーでインドネシアに。アジア、中近東、ヨーロッパとあちこち連れて行かれたんやけど、なにせパフォーマンスが強烈すぎて、ここで死ぬんちゃうかなって何回も思いました」

イスラム教の神聖な礼拝堂・モスクの前で、裸でゲリラライブを行っては兵士に銃口を向けられる。刑務所への慰問では、すんでのところで入所者の暴動に巻き込まれそうになる…
いつも危険と隣り合わせながらも、舞踏界の反逆児たちと同じ空気を吸い、感性を共有することは、彼にとって人生の得難い宝物になっていく。

「ある時バリのプリアタン村っていうところで、地元の音楽“ガムラン”と競演したことがあったんです。この村のガムランチームは世界的にも有名で、パリ万博で公演した時には、あのクラシック界の巨匠・ドビュッシーが感銘を受けたほど!そこから“印象派”が生まれて、音楽の歴史が変わった…そんな彼らとピアノで競演できたなんて奇跡でした」

そしてさらに、その時グループの長老にいわれた言葉こそが、今でも彼のなかに宿り、ひとつの指針となっている。
「伝統芸能は守りに入ると死んでしまう。いつも新しい要素を採りいれ、進化しているからこそ、ガムランは今も生き続けていられるんだと。もう衝撃でした」
古きを受け継ぎながら、なお進化を続けること…情熱的でありながら、心を癒すガムランの魅力に魅かれていくとともに、自分にしか表現できない音楽とは何なのかを探しはじめたのもこの頃からだった。

“降りてくる”感覚を初めて味わった熊野

10年にわたって白虎社とともに海外で公演を行う一方で、次第に心は癒しやヒーリングへと傾きだす。
1992年には屋久島、四万十、さくら…など日本の美を映像にしたヒーリングDVD「virtial trip japan」シリーズを発売し、これが大ヒット。
ちょうど、海外でも評価を受けていたミュージシャン・喜多郎らの影響もあって、ヒーリングミュージックは多くのファンに支持され始めていたのだ。

そんなある日、生まれ故郷でもある和歌山の熊野本宮大社の宮司から、一本の電話が入る。「世界遺産登録」に決まったお祝いのセレモニーで演奏してくれないか、というものだった。

「1700年の歴史のなかでも、大社殿でのシンセサイザー生演奏は君が初めて!という宮司さんの口説き文句にグラッときてね(笑)機材もチームも全部自腹で用意せなあかんという、大変なライブやったんですけど、思い切って行ってみると響いてくるパワーはハンパない!“降りてくる”感覚をはじめて味わったんです」

熊野の持つ膨大なエネルギーを音に換え、自然と共鳴していく演奏は人の心をとらえ、熊野はもとより日本中の様々なパワースポットや社寺などからの依頼が殺到するようになる。屋久島、高野山、富士山、奈良や京都の庭園…どこも日本を代表するような場所ばかり、ついに“世界遺産男”なるニックネームまでつけられてしまった。

来月も富士山の世界遺産登録を記念して、河口湖でのコンサートも開催する予定だ。
「富士山に呼ばれるように演奏を始めて、もう7年。あちこち不具合が出てきて、噴火も近いといわれてる富士の山が、なんだか僕に早く来てくれって言ってるような気がしてね。大きな自然のバランスを整えるには、大きなエネルギーがいる。命がけで弾く覚悟はしてるつもりです」
さらにここ数年、不思議なことが続いている。
作曲家でありながら「全然作曲をしてないんですよ。音が勝手に降りてくるっていうか… ウソやろっていわれるけど、ほんとなんです」
静かにその時を待っていれば、自然と曲が生まれてくるのだという。
そしてその曲たちは、あちこちの医療現場でも流され「心が落ち着く」「眠れるようになった」などのメールをもらうことも多い。

そんな彼の大いなる夢は、映画音楽。「いつか作曲部門でアカデミー賞をとりたい!これが究極の夢なんです(笑)」

2013/5/9 取材・文/花井奈穂子 写真は提供して頂きました