私的・すてき人

仕事を通じて、地元とのご縁を大切にしたい

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カメヤグローバル株式会社 代表取締役社長

たかはし じゅん

高橋 純さん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: http://www.kameya-g.co.jp/

プロフィール

1968年 兵庫県出身 
1991年 筑波大学第3学群社会工学類卒業後、野村證券入社
2002年 退社 「フジオフードシステム」へ
2006年 「東新住建」を経て「カメヤグローバル」の代表に就任

人生にワクワクできるかどうか……そこに焦点を合わせると、きっと生きることは楽しくなる。

 

今とは違い、まだ大企業のエリートが人生の“勝ち組”でいられた…そんな時代にあえて野村證券という大樹を飛び出し、夢にチャレンジし続ける道を選んだ。

もちろん、賭けにリスクはつきもの。

「それでも、いつも新しいことをやっていたいんです、実は飽き性なのかも…(笑)。けど人生は一回きり、だったら思いっ切り濃~く生きたいじゃないですか」

 

ただ「雇われる」のではなく、仕事も夢も自らクリエイトしていく…そんな人生って、無限大のワクワクに満ちているに違いない。

野村證券での経験こそが今の礎

IT時代の幕開けを体験している彼の世代には、若くして起業したり独立した人材がひしめいている。楽天の三木谷社長しかり、あのホリエモンしかり。 だが、彼は野村證券という大企業でつちかったものこそ「今の自分の礎」という。

 

配属されていたのは企業金融業務、いわば企業への提案やコンサルティングを中心とした部署だ。

 

「当時はキツかったけど、今思えばほんとにいい会社でね、僕ら新人にも大きな仕事ができるチャンスを与えてくれる。自分が担当する会社の社長やったら、何を必要とするのか、そのためにはどんな提案をしたらいいか、四六時中考えろと。それができるようになれば、自ずと戦略を立てられるようになるでしょう」

 

「当時たくさんの企業のトップの方とお会いできたおかげで、今どんな肩書きの人と会っても動じない自分がいるんです。あの10年はほんとに厳しかったけど、日々勉強になった。あの経験こそが今の僕を作ってくれたと思ってます」

 

だが11年目、彼に大きなターニングポイントが訪れる。担当していた外食チェーン企業「フジオフードシステム」から「うちに来ないか」という誘いが来た のだ。

 

「藤尾社長にちょうど株式上場を勧めてたんです。看板ブランドだった「食堂」という業態に素晴らしさを感じていて、もっと各地に食堂をつくってほしい、これは今後必ず必要になると。自分で言い出した責任もあって、じゃあこの会社を自分の手で上場させたいと思った。夢の実現に向けて、もっと経営に近いところで勉強したいという思いもあって…よし、ここがタイミングや!と決断しました」

 

こうして転職したものの「初めはほんとにしんどかった(笑)なにせ上場準備から企画、実務まで今まで知らなかったことばかり。でもだからこそスゴイ勉強になりました。あの時覚えたことがすべて今に生きてる」

 

フジオフードを見事に上場させ、一段落ついたところで今度は同時期にラブコールを受けていた「東新住建」に入社。転職するたびに新しいスキルを身につけていった。

 

「ありがとう」といってもらえる幸せ

やがて東新住建が、泉州を拠点にした注文住宅建築会社「カメヤグローバル」と資本提携したことで、彼はそこを任されることになる。なんと37歳の若さで大学時代からの目標だった“経営者”の座に就いたのだ。さらに2年半後、自費で株を買い取り独立するというMBOに打って出た。

 

「でも実際夢がかなってみたら『うわぁ、社長なんてやるもんちゃうなあ』って(笑)。 そのプレッシャーとシンドさは思ってた以上!会社として方向転換をしなければいけないのに、自分の思いがなかなか社員に伝わらない……トップに立ついうのは難しいなと痛感しました」

 

まずは、以前の多角経営をやめ、完全な地元密着に切り替えた。さらにユニークなのは、建築エリアを岸和田の本社から車で1時間以内に限定したことだ。 「カメヤは泉州の住宅会社、アフターメンテナンスが発生した時に、すぐ駆けつけられる――それが1時間以内だと思ってます。造りっぱなしではなく、長期にわたってサポートするのが大切だと思うから」と、地元ならではのきめ細やかさが魅力だ。

 

地震に強い家、店舗付き住宅の提案、地域の古民家再生……とカメヤならではの新しい提案を、リーズナブルに提供できるのも強み。

 

「引き渡し後にアンケートを実施するんですが、そこに『ありがとう』って書かれてる時は、もう涙が出ます。家は営業、プランナー、設計士、大工…と社員みんなで創りあげた作品。それを気に入っていただいて、有難うっていってもらえる……こんな嬉しい瞬間はないです」

 

さらにこれからは「もっともっと地域とのつながりやご縁を大事にしたい、町のために頑張ってる人たちを応援できたら…」と様々なアイデアを練り奔走する。

 

「役職が上になればなるほど、よりいっそう働かんとアカン。それができてる会社は強い。実はこれも野村時代に教えられたことなんですよ(笑)」

 

いつも新しことをしていたい…その思いがこれからも彼を動かすのだろう。

 

2011/12/25 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔