私的・すてき人

堺ってこんなカッコイイ街なんやって太鼓を通して伝えたい

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和太鼓「堺太鼓」主宰 邦楽ユニットイベント企画運営「Junit」代表

かけい じゅんこ

筧 純子さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://www.jdream.info/

プロフィール

1971年 大阪府出身
1993年 関西外国語大学卒業後、山一證券入社
2003年 「堺太鼓」を立ち上げる
2012年「第39回堺まつり」にて、堺太鼓が市民投票で第一位に選ばれる

和太鼓は当時の彼女にとって“賭け”だったといってもいい。
 
学校でうまくいかず悩む娘をなんとか救いたい、真っ暗なトンネルから光の射す場所へ連れ出したい…
「とにかく必死でした。あの子に何かさせたい、打ち込めることをみつけなくちゃって」
 
誰の人生にもある日突然、思いもしない事件は起こる。
その時どう立ち向かっていくのか、道を切り開いていくのか…
 
「娘を救うのは和太鼓しかない!って思いました。でも堺には子どもの太鼓教室が無い。だったら自分で立ち上げてしまおう…
あの子のために一歩踏み出す、それが私の選んだ道だったんです」
 

娘を守れるのは私だけ

山一證券時代の彼女には、堺太鼓の代表として走り続ける“今”を予感させるエピソードがある。
 
まず入社の時から、負けん気と度胸の良さはケタ違い。
「説明会の時『自分に自信のある人だけ来てください』って言った会社があってね、それが山一證券だったんです。
じゃあ私が行ったろやないのと。面接の時も『私を採らなくて誰をとるのよ』ぐらいの勢いでした(笑)」
 
「営業ほど面白いものはない」と自らアピールして営業レディに。
水を得た魚のように「楽しくてしょうがない」毎日を送っているうち、気がつけばなんと入社した新人の中で、全国トップの売り上げをたたき出す
“カリスマ”になっていたというからビックリ。
 
だが数年後バブルは崩壊し、まさかという大企業が次々倒産していく時代が来る。同社も同じ道をたどるが、多くの同僚や上司がドンドン転職していくなか、
彼女は最後の日までここで働くことを決める。「自分の会社の最期を見届けたい、そんな思いでしたね」
 
それからしばらくして主婦として子育てに追われていた時、突然事件は起きた。
 
「小学4年だった娘の上靴が無くなる、蹴られて足を腫らして帰ってくる…これはおかしいと思って学校に相談に行ったんです。そしたら先生は気のせいやって
いうわけです。お母さんの愛情不足なんじゃないですかって」
 
「私のせいなんやろか、私が悪いんやろか…ってもうノイローゼいなりそうでした」
 
校長に直談判の末、結局トラブルがあったことがわかったが、なかなか解決するところまでは進まない。
 
「このままではアカン、娘に夢や希望になる何かを見つけんと…」
学校以外にも生きていく場所はある、楽しいものはある…それをわかってほしかった。
 
そんな時たまたま見たのが、近くに和太鼓の教室があるというチラシ。
「通ってみたら面白くて。それに何よりめちゃカッコイイ。もうこれやって思いました」
 
そうヒラメくや、持ち前のパワーと度胸の良さが復活。「堺太鼓」立ち上げに向かって走り出したのだ。
 

海外に堺の街をアピールしたい

「当時堺に子どもの太鼓教室がなかったの。だから自治会、学校関係者に頼んで場所を借りて、近所の子どもたちを集めて。肝心の太鼓は借金して10台そろえたんです」
 
右も左もわからぬまま、娘への思いだけで立ち上げた「堺太鼓」も、やがてメンバーも増え、あちこちのイベントに呼ばれるまでになっていく。
 
「ある時娘が中学の発表会で和太鼓を披露することがあってね。それを見た男のコらが『筧、カッコイイなあ』って。それを聞いた時ヤッタ!って涙がでるほど嬉しかった。
ああ、太鼓やってよかったって」
 
そして驚くことに、時間が経つにつれ、メンバーの子どもたちもドンドン変わっていくことに気づく。
「伏し目がちでモジモジしてしてたコが、自信がつくと笑顔に変わってくる。ステージに立つとキラキラ輝いてくるんです。舞台度胸がついてくるから、クラス発表でも演説でも
お手のもの。ビックリするくらい積極的になっていったんです」
 
一方で名前が大きくなるにつれ、堺という街をアピールしたい、盛り上げたいという思いも強くなった。3年前には堺遺産をテーマにした「第39回堺まつり」で、出演した
全団体の中から市民投票で一位に選ばれるという感激も味わった。
 
「堺ってこんなにカッコイイ街なんやって、発信していかなアカンと思うんです。各地の音楽祭やイベントともコラボして、堺の魅力をもっともっとみんなに伝えていきたい」
 
そして今大きな夢がある。
 
「これからは世界に出ていきたいなって。来年は海外で演奏する計画も進めてます。太鼓ってどの国にもあって、誰もが心に響くDNAをもっていると思うんです。だから
言葉は通じなくても、感動は伝わる。堺はこんな素敵なとこやって世界中にアピールできたら最高やなって」
 
わずか数人の子どもたちでスタートした堺太鼓。それが今や世界という舞台に挑もうとしている。
 
「いつも最高を目指して練習するけど、完璧な演奏ができたと思ったことは一度もないの。もっと上へ、もっと高く登れるはずだといつも思ってます」
 

2015/7/4 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔